そんなこんなで聖書のお勉強は5年ほど続きました。
途中で三女のお姉さんの都合が悪くなり、
先生役が次女のお姉さん(高校生)に交代しましたが、一応自宅勉強会は続けていて、
私は都合のいいことだけ寝る前に心の中でお祈りするまあ小学生らしい適当な信心深さ(浅さ?)でやり過ごしていました。
イラストからも分かる自己中な5年生ぶり(笑)。
普通は
お願い事の最後にアーメンと言ってお祈り終了ですが、
この宗派はお願いの後に「イエスキリストの御名を通してこの祈りを捧げます、アーメン」というのが決まり文句で
その文言を入れるとなんか願いが叶いそうな気がしなくもないなー。という
まあ適当な信心深さ(浅さ?)でした(笑)。←二度いう
母がカルトの話をあまりしなくなったのは私が小学五年生ごろです。
その年の春から妹も小学生になり、育児も少し楽になったのでしょう。
母は料理教室の先生募集にエントリーするのです。
そしてまた似たような時期に父の転勤が決まり、
自宅から2時間以上かかる所のため、引越しはせずに職場近くにアパートを借りて単身赴任。週末に家に戻るという形になりました。
そして、母は料理教室の先生に合格!
不定期で教室に出ることになりました。
訪問に来ていた方達も引越しをされ、
だんだんと集会などにも行かなくなりました。
エリちゃんとは同じクラスだったけど、別に聖書がどうという話はしたことがなく、
普通にクラスの友達の一人として交流していました。
ちなみに何でそんなに簡単に脱会できたかというと、
パプテスマ(洗礼)は受けてなくて
一般人だけれど聖書の研究をしている人という位置付けだったからです。
在家信者みたいな感じですかね。
一方でエリちゃんは洗礼を受けている一家だったので
修学旅行のお寺参りは離席、運動会の騎馬戦は出ない(戦いに参加は競技でもダメなのです)、と制約の中で学校生活を送っていました。
でも、周りの人たちは特にどうということもなく、
この行事にはエリちゃんは参加しない。ぐらいの感じでエリちゃんが嫌がらせにあったりというのは私が見た限りではなかったです。
また洗礼を受けていても絶対に脱会できないわけではなく、だんだんフェードアウトしていけば問題なしです。
カルトにありがちな、大金巻き上げられるとか、連れ戻されるとか強行手段は使われません。
あの人は楽園に行くチャンスを逃したねー。もったいないね。ぐらいな感じでしょうね。
でも、私はホッとしていました。
これで一件落着かと思いきや、その後の人生の思わぬ所で影響があったのです。